2005年5月アーカイブ
5月27日~29日まで新潟入り
28日朝10時
小千谷小で小林さんと始めて「ご対面~~~」
思っていたとおり、優しい人だった。
Wさんに「陶器持ってきたよ~」と伝えると「わぁ~!来てくれたのぉ」と言って頂いた。
ふるさとに帰ったような気がして、嬉しくなった。
陶器を配り終えお茶や煮物をご馳走になり「上ノ山に行こうと思うの」・・・・
Wさんに場所を教えていただいて走るものの・・「無い・・!」
田んぼに挟まれた道をウロウロ~~
「ん?アソコかな?」とお邪魔した所は「四ツ子仮設」
声を掛けてみるも、誰もいらっしゃらない。「どうしようかなぁ~」と思っていたら
Kさんがいらして「お茶碗如何ですか?」と声を掛けてみた。「自分はいらないよ」でも
「集会所で欲しいかもしれないから待ってて!聞いてみるから」と
すぐどこかに電話をしてくださった。
「13時半にならねえと管理人が来ないらしいから・・」と一緒に待っていてくださった。
待つ間、田植えの話、山が動いた話、あの場所には酒屋があったんだよ・・・と色々話してくださった。
色々話しているうちに「kさんは湯のみ要らないですか?」と再度言ってみた。
「貰おうかな・・・」最初は遠慮だったんだぁ~・・と私は思った。
そうだよね・・どこの誰ともわかんない者が「陶器どうですか?」なんて行くんだもん、警戒するよね。
ボランティアの名前を出しても警戒はとけない。
しかし、その「警戒」が大切なんだよね~
Kさんの声かけで数人の人に貰っていただいた。
2時間ほど「四ツ子仮設」
その後Kさんに「上ノ山仮設」を教えていただいて向かった。
「上ノ山仮設」は静かだった。みんな家の片付けや山や田に行って見えるようだった
外にいらした方に声を掛けてみた。
「陶器を愛知から持ってきました、いりませんか?」
「いくら?」この言葉はどこの仮設でも聞かれた言葉。。。
「無料ですよ~」と伝えると顔が不審になる。
事前に名刺も出しボランティアと説明もするんだけれどなぁ・・・・
結局「ただ!!ただ!無料で~~~す」大きな声で冗談めかして言うしかない。
もう~フル回転で叫ぶしかない!!「陶器いりませんかぁ~~~」
Hさん・・・不審な顔しながらも見に来てくださった。
「ホントに貰って良いの???」
「いいよ~~持って行って、、持って行って!!」
「かあちゃん呼んで来いよ」な~んて声まで聞こえてきたww
もう一人のHさん、奥さん連れてまた来て下さった。
「これももう一個貰おうかなぁ~」とHさん
「遠慮なんてしないでぇ~~持って行って」と私
帰りがけ「今、山で取ってきた、ウド持って行け」と、取れたてのウドを頂いた。
そして「また来るね」と言ったら「また来てね、待ってるから」とHさん。
なんだか涙出そうになって、すごく嬉しかった。
小林さんからの頼まれ事・・忘れそうだった事に気づき
慌てて聞いてみた。
「上ノ山仮設」は被災者の方がお一人お亡くなりになった仮設
私も「独り暮らしの方」に声を掛けたいと言う思いもあり聞いてみたが
「ここには働き盛りの人の一人暮らしはいるけれど年寄りはいないよ~。」
「嫁さん探してる人ばかりだわ~~ははは♪」と、笑い声で返ってきた。
"近所付き合いが出来ているんだなぁ"、と感じ「また来よう」と思い上ノ山を後にした。
先回小千谷入りした時に、夜遅くに自転車で逢いに来てくれた方に逢うため
電話をしてみた。
快く「おいで」と言っていただき「職場」にお邪魔してしまった。
お仕事中失礼致しました。そして、コーヒーまでご馳走になり
小千谷を後にしました。
長岡まで帰り・・・このまま高速に!!と思いましたが
車庫跡の仮設に行って見ることにしました。
中には入らず外から仮設をみて・・・他にもあるのかなぁ・・・なんて考えが頭に浮かび
「栃尾」に足を延ばすことに・・・・様々な傷跡が生々しく残っていました。
道路が途中ですっぽり切れている所、迂回路・・・
小千谷もまだまだ山肌やがけ崩れがそのまま残っています。
他の地域も手付かずの所がたくさんありました。
ニュースにも取り上げられない場所があること・・・・
また胸が締め付けられる気がしました。
今回は一人での行動。。。
隣に人間ナビがいなかったこともあり・・・・
ナビに振り回される私でした。今度こそ!!真っ直ぐいけるんだからね。(大津)
2005年6月5日(日)震災後初の牛の角突きが開催されます。
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牛を愛する人々が一生懸命作り上げた仮設の闘牛場で開催されます。
時間・・・・午後1時より
会場・・・・白山運動公園仮設闘牛場
です
間近でみると迫力が違います。是非春の小千谷に足を運んでください!
詳細は小千谷闘牛北斗会のホームページをご覧下さい。
こばやし(AVN東京)
川口町復興ボランティアセンターは今月で閉鎖になりますが、現在圧倒的に
人手が不足している状況です。数名しかいない状況です。
ニーズは消化するまで、6月に入ってからも活動をし、その後撤収となるようです。
最後の踏ん張りどころ、是非皆さんの手を貸してください!
問い合わせは川口町復興ボランティアセンターまでご連絡下さい。
こばやし(AVN東京)
震災より7ヶ月が経とうとしています。
ボランティアも、早い方は被災翌日より現地にて活動され、炊き出しから家屋の復旧、水害の泥のかき出し、雪ほり仮設住宅での訪問や集会所でのイベントなどなど、様々な活動ををしてきました。少なからず被災者の力になっているのかな、と思います。
春になり、現地では行政や地域などで復興について話合われています。
その復興にボランティアの力がほんの少しでも役に立つのであれば、これからも
みんな笑顔で現地に足を運ぶ事と思います。
震災直後から行動を起こしていたのは当然ボランティアだけではありません。
ライフライン、道路、鉄道、水道、電気、ガス、電話など、全国より応援部隊が集まり、不眠不休で復旧活動を続けた方たちがいました。
もちろんその中には自らも被災者でありながら、地域を想う気持ちや仕事に対する使命感で従事していた方々も沢山います。今回は、電力の基幹線である送電線が損傷を受け、その復旧活動に携わった方々の作業の様子を紹介したいと思います。
送電線とは、発電所で作られた電気が、各地域にある変電所まで行くまでの電気の道です。高い鉄塔が建っていて、遠くまで電線が延びているあれです。
場所は小千谷市某所、ここに「15万4千キロボルト」と「6千6百キロボルト」の送電線が通っていて小千谷市一帯の電力を賄っています。言い換えれば、ここが断線すれば小千谷市一帯が停電すると言う事です。
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今回ダメージを負った鉄塔の近くに、新しい鉄塔を建て、送電線を迂回させる工事だそうです。
その数は10基近く、11月初旬より、雪の降る年末まで、この区間だけでも延べ4000人以上が雪が降る前に、と全力で働いていたそうです!
(続く・・)
先日隊長のえりから届いたメール、本人の許可を得て転載します。
新潟より戻りました!
Aさん(あかつきメンバー)は、山の事や山菜の事、季節のこと、新潟の人の想いなど、すごく分かるんでしょうね。
山ウドがおいしかったなぁ。きんぴらや天ぷら☆
クルミあえもおいしいらしいよ~。
こないだいった時、せっかくお土産にもらったけど足を怪我して山菜採りに行け
ないばぁちゃんに、ほとんど渡してきちゃった。
Mさんも今年は危険だから山菜採りに行くなと言われているとか。歳のせいかな。
だからあたしが復旧工事ついでに連れてってもらって採ってきた山菜が、Mさんも
ばあちゃんもハツモノだって喜んでいたよ。
山は、崖崩れで地形が変わってたけどやっぱり宝庫でした。
時期や場所にも依って採れるものは全然違うんだろうね。その辺はAさんがプロだもんね♪
山菜採りは慣れない都会もんにはなかなか大変だったけど、さすが地元の人はさ
っさかすごい斜面歩いて行ったりして。
割とついて行くのに必死でした(笑)情けない(^^;)
今も、おじさんたちは自分たちの力で農道の復旧工事をしてるんだろうな...。
右は崖下に崩落して、左は崖崩れで土砂が覆っているような、軽トラ一台がやっ
と通れる道を抜けて。
スコップを手に持って、一台の重機と、手作業で朝から日が暮れるまで、埋まっ
た道の復旧工事をしてる。
鯉や牛の世話をしながら、家の片付けをしながら...。
お母さんたちは、片付けとお茶のみかな。無造作に咲く庭のチューリップや水仙
がとても綺麗だった。その庭先で豆を干して、わらびを揉んで、一見すごくのど
かで平和な風景なのにね。青いビニールシートや、うまく閉まらなくなった扉が
、今までとは違うんだろうな。
そんな中でも、85歳ともなると、ただ悠然とあるがまま、閉まらないもんは閉ま
らない、仕方ねぇて、と、流れのままに受け入れているようにも見えたよ。
...携帯で長々と書いてしまった。すんません。空き時間だったもので...。
想いは溢れてるんだけどなぁ。。。
ではまた。。
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うち(あかつき)は、基本的に個々それぞれがそれぞれの場所(県外でも)活動し
その個々でネットワークを形成しています。
現地に入りボランティア活動をしている人もいれば、テレビでしか見たことはないが
復興に想いを寄せる人。様々な人がいます。
みな普段は仕事、学校があるので、それぞれのペースで活動しています。
想いはみんなそれぞれですが、全国よりずっと応援しています!
1歩ずつ、前へ前へ。
美しい山。暖かい人。やさしさあふれるあの新潟へ。
(AVN東京 こばやし)
土砂崩れ現場保存に遺族同意
-------新潟日報 5月19日
中越地震で魚沼市の母子2人が死亡し、東京消防庁ハイパーレスキュー隊により皆川優太ちゃん(3才)が奇跡的に救出された長岡市妙見町の土砂崩れ現場に
ついて、森民夫・長岡市長は18日、記者会見で「災害を風化させないため現場を保存することに異存はないことを遺族から確認した」と述べ、亡くなった皆川
貴子さん=当時(39)=、真優ちゃん=同(3才)=の遺族から保存に向けて同意を得たと明らかにした。
同現場については、県や同市の復興ビジョンで震災の「メモリアル拠点」として残そうという構想が出ており、遺族の同意を得たことで保存に向けて一 歩進んだことになる。これに対し、県総合政策部は「遺族の意向だけで震災メモリアルに決定するものでもない。調査結果を見て、保存するかどうかを決める」 と話している。
--------------------------------ここまで
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※2004年11月、信濃川の対岸の臨時へリポートより妙見の土砂崩れ現場を撮影
(工事関係者撮影)
妙見の現場の保存については、色々な意見があります。そのひとつに、近隣の道路の渋滞があります。「朝の渋滞がひどい」と言った声をよく聞きます。
現場を目にすると、震災時の恐怖がよみがえる、と言った方もいます。
阪神淡路大震災の被災地域には、数多くのメモリアルがあります。
http://www1.plala.or.jp/monument/all.html
震災の経験を教訓として残すために、メモリアルは必要かと思いますが、あの場所
は難しいと思います。写真を見れば分かるかと思いますが、「ひどすぎる」のです。
どこか別の場所にメモリアルパークを作り、妙見の崩れた大きな岩ひとつを移設して
メモリアルとして残すのはどうでしょうか?
こばやし(AVN東京)
今月初旬の小千谷市の写真です。
1枚目は仮設住宅の写真です。地盤の弱い所に建てたものは、今でも修復工事が進められています。
市街地は、雪もすっかりなくなっています。様々なHP等で言われていますが、雪で覆い隠されていた痛々しい傷跡が各地で見られるようになりました。
応急処置された箇所も、雪解け水や余震とうで土がやせ、再び陥没したりしています。
高速道路も現在は応急処置のみです。
2、3枚目の写真は、崩れた道路の脇で子供達が遊んでいる写真です。この場所は市街地です。街中でも、まだこのような場所が沢山あります。
道路も危険ですが、左側の全壊家屋はいつ倒壊してもおかしくないものです。子供達が停めた自転車は大変危険な位置にあります。結構ヒヤヒヤものでした。この後子供はすぐ移動しましたが・・
1日も早く、安心して住める街に戻って欲しいと思います。
ボランティア募集のお知らせ
-----長岡市災害ボランティアセンターより
5月19日(木)、20日(金)、21日(土)に
ボランティア活動に参加していただける方を募集しています。
活動内容は、仮設にお住まいの方の引越し荷物運びなどです。
力のあり余っている方、ぜひご協力下さい。
1日でも大歓迎です。よろしくお願いします。
ご協力いただける方は、長岡市災害ボランティアセンター(TEL: 0258-30-1229)にお問い合わせ下さい。
お待ちしてます!
中越地区において、広くボランティアの参加を受け入れていた最後のボランティア
センターでした。
ボランティアセンター閉鎖のお知らせ
※川口町ボランティアセンターより
今月をもって、川口町ボランティアセンターが閉鎖になります。
11月の初め、僕達も川口町で活動していました。
当時は町全体がそわそわしていて、住民の方も途方にくれているような状態の中で
全国各地から大量のボランティアが押し寄せていました。
自ら力仕事を買って出て、泥だらけになりながら土嚢を積む者。
参加期間、ただひたすら黙々とボラセン敷地内の掃除だけをして帰っていく者。
泣く事もたくさん。そして笑う事もあり。
限られた時間の中で、それぞれが自分の事のように、必死になっていました。
そして夜は、河川敷に臨時に作られたテント村の中で、初めて会う者同士が
旧友かのごとく復旧、ボランティアについて語り合いました。
それぞれの想いが、大きな流れになり、その流れの中で指揮を執ってくれた
ボランティアセンター。スタッフもまたボランティアですから、励ましあいの助け合い
で一日一歩戦ってきました。
そして想いの強さから、自らを省みず全力で活動する事によって、活動中に倒れて
しまったり、事故により亡くなってしまうという大変残念な事もありました。
亡くなった方のご冥福を心よりお祈りすると共に、この事を無駄にしてしまわない為にも、今後のボランティア活動のあり方も考えていかなければならないと思います。
今後、復興の段階に入ろうとしている中、「復旧」を目的とする組織的なボランティア活動は終わり、住民の方と密着した、息の長い復興支援活動が求められます。
阪神大震災で現在も活動されている「週末ボランティア」のような活動です。
今回のボランティア活動で、新潟を第2の故郷と思っている方もいるでしょう。住民の方の暖かさに触れた方や、風向明媚で美食美酒な新潟の素晴らしさを肌で感じた方も沢山いると思います。
今後も長期的に関わっていく方も多数いると思いますが、今まで川口町、そして中越
地域でボランティア活動をされた方には、いつかまた新潟へ帰ってきてもらいたいと
思います。
観光でもかまいません。皆で力を合わせて戦った、そして住民の方の頑張りで
チカラ強く復興していく新潟の姿を、是非その目で見て頂きたいと思います。
ここでひと区切りです。
頑張れニイガタ!
ボランティアさん、スタッフさん本当にお疲れ様でした!!
こばやし(AVN東京)
5月3日一緒に行ってくれる友達と「多治見駅」で朝8時に待ち合わせ。
お互い住む地域が違うため、「多治見」ならお互いの待ち合わせに都合がよく合流。
中央高速、長野道、上信越道、北陸道、関越道を乗り継ぎ小千谷に着いたのが、14:30分。
途中、渋滞の為、上越道で豊田飯山から妙高まで抜けるのに1時間時間を使ってしまった。
一度だけ、えりさんとご一緒させていただき、その時の記憶を頼りに
「小千谷小」の仮設を尋ねてみました。
気候が良くなり、畑や家の片付けに出かけていらっしゃるかも?などと思いながら尋ねたら、
やはり留守でした。外に出ていらした方に「茶碗を持ってきたこと」を伝えたら、
私の知り合いの方に渡してくださるとの事。
「今日夜集会があるからと言われたので、みなさんで分けてください」と大目に置かさせて頂いた。
小千谷ママには連絡無しで来ていたので、「電話だけしよう」と思い連絡だけ入れさせてもらった。
その時は繋がらなくてメッセージだけ残し・・・私は平沢へと向かった。
場所はこれまた、記憶のみ!!(笑)なんじゃ村の看板以外何も覚えていないため、ジャスコを目印に向かう。「あ!あれだ・・あった!」ここを右に回
り・・・あの看板を、左!!お~着いた!着いたけれど、こちらの方も留守。玄関先に名刺と共に少しだけ陶器をおかせてもらった。
他の方もいらしたので「どうですか?」尋ねたら、控えめに数個の陶器を手にされて、もらって頂いた。
そこへ「越路に行きたいけれどバスが行ってしまった」と言われた方がみえて、行ったこともない場所に一路向
った。「人間ナビしてねぇ~~」なんて言いながらここ曲がって..ここ曲がって・・越路には着いたものの「私達は帰ること出来るのぉ~?」と不安になりな
がらあっち曲がり、こっち曲がり、しながら帰ってきた。次は元中子の仮設・・2月の時は雪に覆われどこがどこなのか全然解らない。
雪がなく、同時に私の記憶からもすっぽり抜けてる。「この辺りだよね」なんて思いながら走っても思う所がない。ママさんから「元中子で待つ」と連絡を頂いていたので、電話を入れて場所を確認。
「今、小千谷駅前・・・うんうん・・コンビニの前通り過ぎて、アソコ曲がって・・うんうん・・」
電話ナビしてもらった。無事、元中子に到着。
ここでは、全て陶器を箱ごと下ろしお一人の方に「陶器持ってきました、集会所におかさせて頂きました」と伝えました。「ンぎゃ!伝達はやい!w」みなさん
来てくださり、瞬く間になくなった。数量的には全部で500個くらいはあったと思うが、足らなかった。今度はもっと沢山持ってこなくちゃ・・そう思った。
そうこうしていたら、平沢の方からお電話を頂き「もう帰るよ」と伝えたら「帰るンかぁ」と悲しそうな声になってしまった。「解った!じゃぁ少しだけ寄せて貰うよ」と言った途端「うん!待ってるから」と嬉しい返事が来た。なんだか私もすごく嬉しくなって平沢に向かった。
途中、ブログでお仲間に入れさせていただいた方にお電話をして、平沢に向かうことを伝え、またお電話する事を約束した。
平沢仮設では、先回のように沢山の手料理をご馳走になり、沢山お話させていただいて夜7時半までお邪魔していた。「泊まって行けば良いのに」と言っていた
だき嬉しかった。しかし、ホテルが予約してあったので次回の宿泊をお願いしてきた。仮設を出た所でママさんからお電話を頂き「お茶しませんか」と
言っていただいた。ブログでお知り合いになった方のところへ向かうつもりだったので、その旨をママさんに伝え千谷仮設へ向かった。これまた、始めての場所・・どこなのぉ~?三陽電子だけを頼りに平沢で教えていただいた道を走って行った。
ぎょぇ..田んぼ道・・・そう思った途端広い道に・・目の前は目的地だった。道路の隅に車を止め「仮設に着いたよ~」と電話を入れさせていただいた。真っ
暗な夜道を彼女は自転車でやってきてくれました。「ママさんとお茶する?」「今日は孫がいるからぁ」こんな会話がなされて、すごく美味しい「ベーグル」を
おみやげに頂いてバイバイすることになった。再度ママさんに電話。「ばばちゃんが時間良かったらお茶・・どう?」と気遣っていただき「ガスト」で待ち合わ
せ。ママさん一家と楽しい時間を過ごさせていただきました。ガストで待っている間に、小千谷小仮設の方からお電話を頂き「家を片付けに行ってたよ~」との
事。「あえなくて残念だけれど・・・」と、再会の約束と共に「またお茶碗持ってきて・・って・・近所の人が言ってるんだけどぉ~~私が伝えとくね・・って
言ったんですよー」と言われた。
私はなんだか嬉しくなった。陶器の事で近所の繋がりが少しでも出来てる事を感じたからだ。
私の目的は「仮設でのご近所づきあい」へのお手伝いが出来たら・・・そう願っていた。元中子でも一人の方に声を掛けただけで沢山の方が来てくださった。小
千谷仮設も一人暮らしの方への「もっと欲しい事、伝えておいてね」と言う会話が、現地の方の中で生まれてきたことがすごく嬉しい事・・・だと思いました。
そういう中で、少しでもお手伝いできて良かったなぁ・・・と思います。次の日の帰り道、朝日の方からお電話を頂いた。「山に牛が帰ってきたの、山に帰って
て、今仮設に来たとこよ~陶器あったからさぁーー」温かい電話だった。「こん間も小林さん来てくれて~~」電話での話はつきないけれど、「また来るから
ね」と約束して電話を置いた。最後にご協力を頂いた「金吉製陶所」さんにはご挨拶方々「再協力の依頼」をしてしまいました。快く承諾いただき感謝いたしま
す。
防災ボランティアの育成強化、内閣府が指針づくり
---------------------読売新聞 5月5日
内閣府が、大型連休明けから、防災ボランティアの育成強化に乗り出す。5月には被災地での活動拠点となる「災害ボランティアセンター」の設置や運営のノウハウをまとめた指針「情報・ヒント集」を作成する。
さらに、6月をめどに防災ホームページ(HP)を新設し、ボランティアに関する情報提供を活発化させる。
防災ボランティアは1995年の阪神大震災や97年のナホトカ号重油流出事故を機に広がり、昨年の新潟県中越地震でも高齢者救助などで活躍した。 市町村の社会福祉協議会、NPO(非営利組織)などが中心となって設置するボランティアセンターも増え、内閣府の調べでは、災害の多かった昨年度は2月ま でで約60か所にのぼった。反面、急増するボランティアに対し、「統率がとれず、被災地の必要性に応じた活動ができていない」「受け入れ態勢を整えるのが 難しい」などの指摘が出ている。
新たに作成する指針は、〈1〉センターの設置主体やスタッフの配置などの運営事項〈2〉発足や運営の際の資金調達〈3〉安全衛生の確保、業務の範囲――などを盛り込む予定だ。
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中越震災の時は、経験豊富なNPOが主導して、被災地域の行政(社会福祉協議会等)に、その場でノウハウを提供しながら活動する形が多かったと思います。
そして、全国各地から各地の社会福祉協議会のスタッフや災害NPOがボランティア活動を兼ねて視察に訪れていました。
山古志闘牛、臨時闘牛場で復活
--------------新潟日報 05月05日
地震を乗り越え、伝統行事が復活―。中越地震で大きな被害を受けた旧山古志村の国重要無形民俗文化財「牛の角突き」の初場所が4日、長岡市の臨時闘牛場で行われた。地震を生き延びた牛たちが、角を交え巨体をぶつけ合い、復興への力強い一歩を見せた。
新緑にこいのぼりがはためく東山ファミリーランドの臨時闘牛場には、県内外から約3000人の観客が詰めかけた。
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4月28~5月2日まで、現地にて活動してきました(レポートは後ほど・・)
小千谷の朝日地区の住民の方の所にいた闘牛も、震災時何とか助かった2頭が
岩手県に避難していました。
ちょうど現地にいる時に、その牛が帰ってくるとの事。みんなウキウキしていたので
僕も(一番)ウキウキしながら村へ。
まだかまだかと待っていると、ついにやってきました。
はじめてめて見た印象は・・・デカイ!
見た目はとても強そうなんですが、目がとても優しいんです。なんか主人との再会に
うるうるしているような、そんな瞳をしています。
こんな大きいのに、とても言う事をよく聞きます。懐かしい我が家に移動。
そして久しぶりの我が家でごちそうを。疲れも知らずよく食べます。
それを見るみんなも、本当に嬉しそうです。満面の笑み。初めて見たかも知れません。そんな牛の頭をなでながら一言
「これが俺らの趣味だ。いい趣味だろ」
